小学生の娘が「社会」の勉強をしていたので、テキストを少し盗み見していたのですが、気になる記述がありました。
邪馬台国の人々の間には身分の差があり、 ~中略~ このほか、税の制度があり、いろいろな品物を交換する市場も開かれていました。
我が国の税のはじまりは、てっきり「大化の改新」の頃だと思っていましたが、「邪馬台国」の頃から「税」の概念があったのですね。
色々と気になったのでちょっと調べたことを整理しておきます。
邪馬台国の頃
先ほど書いたように、邪馬台国には既に税の制度があったと言われています。
まだまだ解明されていないことの多い邪馬台国ですが、中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、3世紀ごろの日本には「邪馬台国」という国があり、「卑弥呼」という女王が国を治めていたと書かれています。
邪馬台国の人々は、種もみや絹織物を貢物(みつぎもの)として女王・卑弥呼に納めていたそうで、これが日本における税のはじまりと考えられています。
大化の改新の頃
税のはじまりは邪馬台国の頃でしたが、日本最初の本格的な税制度は、「大化の改新」以後に作られています。
✅租(そ):
収穫した稲の3~5%を納める税。
✅庸(よう):
都で10日間労働するかわりに、布を納める税。
✅調(ちょう):
絹や海産物などの地方の特産物を納める税。
✅雑徭(ぞうよう):
国司の命令で、60日程度労働する税。
蒸し殺し?
虫殺し?
蒸しご飯?
無事故?
語呂合わせは様々ですが、なんだか懐かしいですね。
安土・桃山時代
国内を統一した豊臣秀吉が、全国的な規模で土地を調べ、田や畑からの収穫量を米で換算した石高(こくだか)を定め、さらにその土地の所有者を明らかにし、石高の3分の2を「年貢」として納めさせました。
いわゆる「太閤検地(たいこうけんち)」ってヤツですね。
この頃には既に現代の税制度に近い仕組みが出来上がっていたことになります。
江戸時代
幕府が、農民から厳しく「税」を取り立てていた時代です。
✅年貢(ねんぐ):
とれた米の約半分を納めることが村全体の責任とされた。
✅国役(こくえき):
藩から命令された土木工事に参加する。
✅村役(そんえき):
村のための土木工事に参加する。
✅助郷役(すけごうえき):
荷物運びなど宿場の応援。
✅小物成(こものなり):
土地の特産物にかかる税。
農民から厳しく税を取り立てていた時代、金持ちや高額所得者から税を取り立てている現代とどっちがマシかな(笑)
明治時代
明治政府は、1873年に全国の土地に値段をつけ、その3%の額(地租)を豊作・不作に関係なく現金で納めるという「地租改正」を行いました。
ただ、この地租改正は農民にとって非常に負担が大きかったため、各地で反対の一揆(いっき)が起こり、後に2.5%に引き下げられています。
いよいよ現金で税を納める時代に突入ですね。
現代(大正・昭和・平成・令和)
現代の税制度で着目すべきは、やはり平成元年4月に導入された消費税でしょう。
税率3%からスタートし、平成9年4月には5%に、平成26年4月には8%に引き上げられました。
そして令和元年10月からは、いよいよ消費税率が10%に引き上げられるとともに、食料品等の購入には軽減税率(8%)が適用されました。
こうして整理してみると、昔も今も、女王も戦国大名も幕府も政府も、やっていることは皆同じですね!